だいぶ前になりますが、小学校の教育課程に「生活科」が新設されてから、「秋と遊ぼう」「秋で遊ぼう」「秋を見つけに行こう」などわかるような、よくわからないような名前の活動を目にするようになりました。「秋」と遊べるわけもなく、「秋」というもので遊べるわけもなく、「秋」という物を見つけられるわけもなく、実に妙な活動名です。先生独特の、至って心象的な表現です。子どもたちはもっと単純に目の前にあるものに関心を示し、手にします。どんぐりは、あくまでそれが欲しくて一生懸命拾い集めますし、枯葉は、あくまでもきれいな色や気に入る形を求めて探し回ります。

(10月のほし組さんのどんぐり拾い)

 たくさんの体験の点が集まって、やがて「秋」という括りになるのだと今さらのように思います。「たくさん落ちているから、みんなで拾いにこうよ」「きれいな葉っぱがあるか探しに行こうよ」。遊び方も単純に、まずは、自分が満足するまで収集すること。そして、「もう、いっぱいだからいらない」ということになって、初めて生まれる遊び方の工夫。夢中になっているうちに、やがて無くなるどんぐり、ふと見上げると裸になっている木々に枝。もう変わってきているという実感。冬の訪れへの気づき。活動しきった満足感が、一年後の意欲の素となる。そのような学習をさせたい秋の日々です。